【訃報】蜷川幸雄さん逝去、鬼の演出家が遺したものとは

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“鬼”と呼ばれた世界的演出家・蜷川幸雄さんが、80歳で亡くなりました。死ぬ間際まで芝居の世界に生き、生涯を芝居に捧げた大演出家がこの世界に遺したものは、とても大切なものでした。

via google imghp世界的に有名な演出家・蜷川幸雄さんが12日、亡くなりました。80歳でした。

息を引き取るその時まで、現役であり続けた蜷川さん。ここ最近は、車いすで、酸素吸入器を使いながら現場に立ち続けていました。
昨年12月、翌月に控えた舞台の稽古中に肺炎を患い入院。今年1月には自身の生涯を描いた舞台「蜷の綿」の稽古に入る予定でしたが、延期が決まりました。3月下旬、自身が手掛けた舞台の「悲劇喜劇賞」授賞式に欠席するも、その日病室で出演者と面会し、5月の舞台を目標に「リハビリは嫌いだが頑張る。4月に復帰する」という風に話しました。
その後、蜷川さんは懸命にリハビリに取り組み、車いすで何時間も病棟内を回るなどしました。

闘病中も、周りの人間に必要とされていた蜷川さん。4月下旬には、5月の舞台に出演する藤木直人さん、多部未華子さんが病室を訪れ、演出に関しての指導を仰ぎました。また他にも、演出補が毎日病室で蜷川さんの支持を受け、稽古場でそれを元に芝居を作り上げていました。
病室では、現場に行くという強い思いで自らを鼓舞し、手元には常に手掛ける舞台の台本3冊を置いていました。苦しい状態でも芝居への情熱の火を絶やさなかった蜷川さんですが、5月に容体が急変。家族に看取られて息を引き取りました。
担当医は、「本来なら、とっくに亡くなっている。現場に行くという強い気持ちが命をもたせていた」と語っています。

振り返ってみるとここ2,30年ほどは、決して健康な体とは言えませんでした。
90年に胃潰瘍になると、97年には心筋梗塞、09年には脳梗塞で倒れ、生死をさまよいました。12年に狭心症を発症して心臓バイパス手術を受けると、14年には海外の滞在先で下血し緊急帰国するなど、すでに蜷川さんの体は満身創痍だったのかもしれません。
それでも現場を離れなかった蜷川さん。年間10本ほどもの作品を手掛けた大演出家は、生涯現役にこだわり、第一線に立ち続けました。

鬼の演技指導が芝居の世界に遺した財産

蜷川幸雄さんといえばまず思い当たるのが、“鬼”と呼ばれるほど厳しい演技指導です。これまで何人もの役者がその叱責に泣かされたことでしょう。しかしまたその全員が、同時に蜷川さんの指導の根底にある愛をも感じたはずです。
蜷川さんはその“愛の鬼指導”によって、役者の心に大きなものを遺しました。

via google imghp中でも深い絆を築いていたのが、藤原竜也さんです。
14歳の時に舞台のオーディションで蜷川さんにその才能を見出された藤原さん。その後、数々の蜷川作品に出演してきました。
中でも印象的な作品が、21歳の時に主役を演じた「ハムレット」。この作品で数々の賞を受賞しました。
藤原さんは昨年にも、再び「ハムレット」の主演を務め、国内はもちろん、海外公演にも挑戦。「蜷川さんとの集大成でした」と話しています。
蜷川幸雄と藤原竜也。共に歩んだ15年には、とても多くの想いが詰まっているようです。藤原さんは、「僕を一から創ってくれた人。自分のすべてを犠牲にして向き合った。僕の細胞の3分の2は蜷川さんでできている」と、蜷川さんに対する熱い思いを語りました。


#吉高由里子 #正義のセ

吉高由里子/Yuriko Yoshitakaさん(@yurikoyoshitaka_fan)がシェアした投稿 –

via google imghp吉高由里子さんは2008年、蜷川幸雄監督の映画「蛇にピアス」で主演を務めました。

当時はまだ10代だった吉高さん。オーディションを受けた理由は、「あの蜷川幸雄を生で見られるから」だったそうです。
セリフに関しては台本に忠実にやるように言われたそうですが、演出的にはガチガチに固めることはなく、自由にやらせてもらえたそう。特別出演した小栗旬と藤原竜也は「舞台の現場とは違う」と話しました。
吉高さんは、この作品を通して得たものについて聞かれると、「得た……というよりかは、収めてもらった。10代最後の自分の強い生命力を」と答えました。

#aaa #西島隆弘

西島隆弘 (AAA) nissy?→fanpageさん(@takahiro_nisijima_aaa)がシェアした投稿 –

via google imghpAAAのメンバーで俳優としても活躍する西島隆弘さんは、2012年の蜷川幸雄演出の舞台「下谷万年町物語」に蜷川さん自身に誘われて出演。最初の本読みの時から「ダメだ」と怒られたそうです。

登場人物の特有の言葉遣いが出来ていないと指摘された西島さん。「台本を熟読してから臨んだのに。でも蜷川さんの指摘は、完全に正しいんです。負けないって、闘志が湧きました」と、稽古後には言葉遣いを直して徹夜で何度も何度も練習。翌日の稽古で、蜷川さんから「やるじゃん」と笑って貰えたと、微笑ましいエピソードを語っています。

最後のリハーサル、「僕の演技は大丈夫でしょうか」と言うと、蜷川さんは「君は俺にないものを持ってる。それをたくさん見せてくれ」。そして、「違うことがあったら、イジメてやるよ」と蜷川さんらしい口ぶりで励ましてくれたそうです。
「その時、その場所の演者の感情を大事にして、真っ向勝負でぶつかる現場の醍醐味を肌で感じました」と、蜷川作品で得たものを語っています。

ジャニーズを積極的に起用

蜷川さんは、ジャニーズのタレントを積極的に起用したことでも有名です。
過去には少年隊の3人や、SMAPの木村拓哉、V6の森田剛、岡田准一、嵐の二宮和也、松本潤、また最近では生田斗真や亀梨和也なども起用しています。

蜷川さんは、「どうしてジャニーズアイドルなんかを使うのか?」とよく聞かれたそうです。
その度に、「アイドルを舐めるんじゃない」と口火を切り、「半端な芝居をしている役者よりトップで輝き続けるアイドルの方が、とてつもない努力をしている」と豪語していました。
何百万人ものファンの声援に応える彼らは、とてもすごいということを蜷川さんは訴えていたのです。
芝居の世界の本質を見抜いていたような気がしてなりません。

そういうこともあってか、この度の訃報を受けて、ジャニーズでは様々な人から追悼の声が上がっています。
1989年に舞台で一緒に仕事をした木村拓哉さんは、「驚いたしとても悔しいです。現在の僕があるのも、当時芝居について何も分からなった僕に“人から拍手してもらえる厳しさと素晴らしさ”を教えていただけたからだと思います」と感謝の意を述べ、「少し前に“俺がポシャる前にもう一回一緒にやろうぜ!”と言ってもらったことが、頭から離れません」と、叶わなかった約束への悔しさを語りました。


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