趣里にバレエ挫折の過去!死まで考えた悲しい挫折理由とは?

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個性的な演技と高い演技力で多くの作品に出演する女優の趣里。そんな趣里には辛く悲しい過去があった?長年夢見ていたバレエをある理由で挫折。死まで考えたって本当?その挫折理由も気になる!趣里とバレエについてまとめます。

趣里にバレエで挫折の過去!その理由は?

個性的な演技と高い演技力で多くのドラマ映画作品に出演する女優の趣里。

父親が水谷豊、母親が伊藤蘭であることが知られており、2世タレントではあるものの、自らの実力で今の地位を獲得。

多くの人が認める、これからも活躍が楽しみな女優さんです。

そんな趣里は幼少期からバレエを習っていて、バレリーナを夢見ていたほど。

その夢が挫折に終わり、多くの葛藤を抱え、死を考えるまでに!?

今回は趣里のバレエ挫折の過去!その挫折理由やバレエから次のステップへ迎えたきっかけについてご紹介しましょう〜

趣里、幼少期からバレリーナの夢

まずは、趣里がバレリーナを志すところまで遡っていきます。

趣里は幼稚園の友達から誘われたことをきっかけに4歳の時から、井上バレエ団でバレエを習い始めています。

初舞台は6歳、そして小学5年生の時、「くるみ割り人形」主人公クララを演じたことで自信がつき、本格的にバレリーナを目指すようになります。

趣里の中学時代はバレエのレッスンに明け暮れる日々を過ごしており、さらに海外に行きたいという気持ちも芽生え始めます。

その気持ちは中学卒業時でも変わらず、普通に高校進学するのではなく、3ヶ月インターナショナルスクールに通った後、イギリスへバレエ留学することにしたのです。

趣里がイギリスにバレエ留学

趣里が留学したバレエ学校の名前は「Arts Educational Schools」です。

趣里は見事、「Arts Educational Schools」のオーディションに合格。

学校では午前中は授業、午後はバレエのレッスンを受けていたようです。

イギリスですからもちろん言葉の壁もありますし、しかもまだ高校生。。

親元を離れて生活する大変さはたくさんあったでしょうね…

しかし、趣里は当時のことをこのように語っています。

高校にあがるタイミングで英国のバレエ学校に留学できた時は、本当にうれしかった。

憧れている場所でのバレエ漬けの生活は夢のようでした。

いろんな壁がありながらも、夢のような時間を過ごせたんですね〜それは素敵です!

きっと本当に心からバレエを愛していたんでしょう〜

趣里、留学先でケガで帰国

しかし、こんな趣里はバレエ留学中、不運なケガに見舞われることになります。

それは数回の捻挫に、アキレス腱を切ってしまい、さらに骨折まで。

何か大きな事故でのケガというより、日常の練習中に起きたジャンプの失敗が招いたケガのようで、趣里は当初「捻挫したかな」程度にしか思っていなかったとのこと。

趣里は人一倍頑張らないと!という気持ちのまま、無理をし、少し緩んだ時に起こったケガだったと語っています。

治療のために帰国すると、医師から「感覚が戻るかどうかはわからない」と言われ、趣里はバレリーナの夢を断念することになりました。

バレエ挫折で趣里の心境は?

バレリーナの夢を挫折したことで、趣里は生きがいを失うことに。

そして、趣里は当時の心境について以下のように語ったのです。

そのときは、大袈裟じゃなく、すべてを失った気持ちになり絶望感でいっぱいでした


さらに、

当時はおかしくなりそうでした。それまで自分がずっと一生懸命やってきたことが無になってしまって……。正直、死んだほうがいいとまで思ったこともあります。

辛い気持ちが伝わってきますね。。

しかし、意外なことにケガをした足が「生きていること」を実感させ現実に引き戻してくれたのです。

日本に帰ってからも、頭がぼーっとして、何もやる気が起きませんでした。周りから見たら、引きこもりみたいだったでしょうね。でも、不思議なことに、足の痛みだけが、“生きてる”ってことを実感させてくれた。足が痛くて、泥のように重くて。『おかしいな、なかなかよくならないな』って思っているうちに、ようやく、これが現実なんだとわかったんです

現実を冷静に受け止められるようになった趣里は、また新たなことに挑戦しようと前向きになったのです!

それが、演技への道でした。

趣里がバレエから女優へ

趣里はイギリスから帰国すると、高卒認定試験を受験。

合格し日本の大学へ進学することにしたのです。

当時はまだバレエへの未練を抱えていたそうですが、リハビリを続けつつバレエの練習を行うもやはり元のように踊れないことを実感。

そこで、出会ったのが女優への道でした!

趣里がバレエから女優へ転身

大学在学中、趣里はバレエで感じた表現する楽しさをどこかでまた感じたいと思い、軽い気持ちで俳優、塩谷俊が主宰する「アクターズクリニック」に通うことに。

すると、演技の面白さに目覚め、女優業に興味を持つようになります!

ここはさすが、水谷豊と伊藤蘭の子供って感じですよね!

しかし、趣里は女優になることで2世というレッテルが付き纏うことになるのでは?と不安に思うこともあったと言います。

そこで背中を押してくれてのが「アクターズクリニック」の先生であり、俳優の塩谷俊でした。

塩谷俊は趣里に「お前は大丈夫だから頑張れ。女優を続けていけ」と言ってくれたようです。

そして、「3年B組金八先生ファイナル」で21歳にして中学生の役を演じきり話題に。

その後は皆さんご存知の通り、多くの作品に出演する売れっ子女優となりました。

趣里がバレエ挫折から次のステップへ!きっかけは舞台

趣里は、女優となってもバレエに対して未練たらたらだったことを語っています。

バレリーナを諦めてからバレエアイテムを全て捨ててしまったという趣里。

意識的にバレエの話をしなかったり公演を観ることもやめていたそうです。

しかし、女優を行うことで少しずつその傷も癒えていき、舞台「アルカディア」に出演した時、ワルツを踊るシーンのためにスタッフから小さなピンクのバレエシューズをもらったそう。

この舞台を通じて、趣里は自分は芝居で生きていくんだと確信し、さらに今まで避けていたバレエ関係のものに自然と触れ合えた、それは趣里にとって、次のステップに昇華できた証だと語りました。

趣里はその後、バレエの経験を生かした役どころにも挑戦。

映画やMVでバレエ姿を披露することもありました。

趣里の今は、バレエ挫折の過去があったからこそなんですね〜

挫折を乗り越え、成長する姿が素敵です!

まとめ

今回は趣里のバレエ挫折の過去!その挫折理由やバレエから次のステップへ迎えたきっかけについてご紹介しました。

趣里のバレエ挫折…きっと本人は大変辛い想いをしたでしょうね〜

しかし、落ち込んでもすぐに前向きに歩いていこうとする姿、そして努力する姿がとっても魅力的だと思いました!

趣里はきっとこれからも多くの場面で活躍してくれることでしょう〜

趣里の今後の活躍も楽しみですね!



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