
清原和博の野球成績が凄いことをご存知でしょうか?清原和博がどれだけすごい人だったのか、きっと知らない人もいるのではないでしょうか。かつては野球少年の夢だった清原和博の成績を紹介したいと思います。
清原和博、甲子園から注目されていた
清原和博といえば、覚せい剤のイメージでしょうか?それとも、野球人としてのイメージでしょうか?今や覚せい剤のイメージが強い人が多いかもしれません。
しかし、清原和博が野球界に残した成績は、実はとんでもなくすごいものなのです。そして、清原和博は、プロの世界だけではなく、甲子園でも素晴らしい成績の持ち主なのです。
清原和博、甲子園での成績
〇あのプロ野球選手の高校時代〇
桑田真澄&清原和博(PL学園)
pic.twitter.com/4U8owkcdig— あぁ青春の高校野球 夏の甲子園! (@kokoyakyu4916na) March 6, 2018
清原和博、甲子園でも圧倒的な成績
清原和博は、野球の名門、PL学園出身です。清原和博は、高校1年生の夏の甲子園、2年生の春、夏、3年生の春、夏と5回出場しています。
これだけでもいかにPL学園が強かったかが分かりますが、その中でも清原和博の存在は計り知れないものがあったのです。なんと、甲子園通算、91打数40安打29打点という成績を残しています。
清原和博が「怪物」と言われる理由が、すでにこの時点で分かりますよね。さらには、本塁打に関してはなんと13本も出している驚きの成績の持ち主なのです。
私も高校時代に、学校が甲子園に出場して、甲子園に行ったのですが、清原和博が出場したのはずっと昔のことだったのに、当時も清原和博のことを甲子園で話す人が多かったのを覚えています。
そして、清原和博といえば、桑田真澄でしょう。KKコンビとして注目されましたね。桑田真澄もまた、素晴らしいピッチャーで、記憶に残り続けている選手です。

清原和博、ドラフト1位獲得逃し涙
そんな清原和博、甲子園での成績は申し分なく、卒業後はプロ野球入りは当然のことだったのですが、事件が起きました。
「巨人が清原和博を獲得する!」、「清原和博は巨人入りが確実!」そんな噂が絶えず聞こえ、清原和博も巨人に入団できるものと思っていました。
しかし、ドラフトで巨人が1位指名したのは、桑田真澄でした。桑田真澄は早稲田大学進学を予定していましたが、結局巨人入りしましたね。
これは、清原和博がかわいそうだと思いましたが、同時に、桑田真澄もかわいそうでしたね。大人たちに踊らされた高校生の清原和博の心はひどくズタズタになったようです。
清原和博、プロでの成績がヤバい
ドラフトで巨人から見放された清原和博ですが、そこで野球人生は終わっていません。ここから、清原和博の快進撃が始まりました。西部ライオンズに入団した清原和博は、素晴らしい成績を収めていくこととなったのです。
清原和博、西武時代の成績
清原 和博
2338試合 .272(7814-2122)
525本塁打 1530打点 59盗塁 5犠打西武(1986-1996)
巨人(1997-2005)
オリックス(2006-2008)pic.twitter.com/kaCltuG6pU— プロ野球通算成績bot (@npb_player_bot) February 18, 2018
清原和博、プロ1年目で4番に
清原和博は、なんとプロ1年目で4番を任せられるバッターだったのです。これって本当にすごいことです。
どれだけ甲子園で優秀な成績を収め、ドラフト1位で入団した選手でも、1年目で4番ってほとんどないのではないでしょうか。1軍にいることさえすごいことです。
そして1年目から、打率が.304、本塁打が31本です。盗塁は苦手のようで6本ですが、打率と本塁打だけをみると、現在ソフトバンクホークスで活躍していて、2015年にはトリプルスリーを獲得した柳田悠岐と変わらない成績ですよね。
驚くのが、プロ5年目の西武時代にたたき出した本塁打の数が37本であることです。これは今のところ柳田悠岐より上です。

プロ5年目は、打率.307と西武時代で1番いい成績を収めていますね。また、1989年には史上最年少での100号ホームランを21歳で成し遂げたという実績も持っています。
1987年、西武が日本一に輝いたとき、試合中に清原和博が泣いていたことを昨日のことのように思い出す人もいたでしょう。このとき、日本一を奪った相手は、巨人だったのです。
悔しい思いをさせられた巨人から勝利を獲れると確信した清原和博の目には涙がとめどなく溢れていたのです。清原和博は、1986年から1996年、西武に在籍し、FA宣言をして清原和博が行った先は、あの読売ジャイアンツです。巨人ですね。
清原和博、読売時代の成績
かつての清原氏の勇姿
怪物対決で看板直撃弾!
今となっては伝説#清原 pic.twitter.com/yyIKobFGJW
— 【厳選】野球LOVE動画 (@daisuki2yakyuu) March 1, 2018
清原和博、読売移籍でも成績残す
清原和博は、ドラフトで悔しい思いをしたけど、それでもやっぱり憧れていた読売ジャイアンツに入団します。読売ジャイアンツといえば、王貞治と長嶋茂雄なので、憧れない野球人はいなかったでしょう。
清原和博は、読売ジャイアンツでも4番を務めました。読売時代は、期待はずれの成績や、故障が多かったイメージがある人もいるようですが、実はすごい成績を残しているのです。読売1年目は、打率こそ.249に落ちてはいますが、本塁打は32本です。
さらに、清原和博のプロ最高の打率は、2002年読売時代の.318なのです。この年は、本塁打こそ12本と伸びていませんが、出塁率は.414です。
ほぼマウンドに立ったら出塁しているようなものですね。本当に凄い人物ですが、多くの怪我にも悩まされ、成績も徐々に落ちていき、2005年には戦力外通告を受けました。
清原和博、オリックス時代の成績
【プロ野球チップス2009】
清原和博(オリックス)pic.twitter.com/2ZB296dhKr— プロ野球選手名鑑BOT (@BBMeikanbot) February 21, 2018
清原和博、オリックスで現役引退
読売ジャイアンツを退団した清原和博は、オリックスバッファローズに入団しています。仰木彬からの「お前の最後の花道は俺が作ってやる!」という言葉で、オリックス入りを決めた清原和博ですが、この仰木彬は名監督でしたね。
あのイチローを世界のイチローにしたのは、仰木彬です。清原和博が入団する前に仰木彬は亡くなってしまったのが、本当に悔やまれますね。もし今でも生きていたら、清原和博は間違った道に進まなかったのではないでしょうか。
オリックス時代の清原和博は、成績は振るわないものでした。しかし、清原和博の野球人生は素晴らしい成績とともに幕を閉じました。
なによりも、引退セレモニーで清原和博に花束を渡した王貞治から「生まれ変わったら同じチームでホームラン競争しよう」という言葉を貰ったのです。これは、王貞治が清原和博を認めている証拠です。
ドラフトのとき、選んでくれなかった王貞治がです。清原和博がどれだけすごい選手だったのか、ひしひしと伝わりますね。
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清原和博、プロ時代の成績表
清原和博の1986年から2008年までのプロ通算成績は、打率.272、本塁打525ととても素晴らしいものです。本当なら、今頃、プロ野球のどこかの球団の監督をしていてもおかしくないですよね。桑田真澄もそうですが。清原和博は覚せい剤をして道を大きく踏み外し、今はうつ病もかかえているようですが、野球界に残した成績は一生消えないものですね。
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SNSの反応
あんなことになったけど、清原和博選手はそれはすごい選手だったのじゃよ…あんなことがあったから仕方ないけど。
— ヨーソロ提督(ローエングラム鎮守府所属) (@yousoro11) January 8, 2018
阪神の大山を見ていて改めて感じるけど、高卒ルーキーとして4番を打っていた清原和博はやっぱりすごいな。今は嫌いだけど。
— Yoshi TANAKA (@Yoshi__Tanaka) September 6, 2017
清宮もすごいけどやっぱり清原和博じゃね?
#史上最強の高校生バッターは誰だ— カツ・ラギ (@hpm1249) September 2, 2017
SNSでは、清原和博はすごい人物だったとか、清原和博の成績はやっぱりすごいと認めている人ばかりです。それだけにもったいないと嘆く人も多いですが。
まとめ
清原和博の成績のすごさ、分かりましたか?野球ファンなら誰もが知ることですが、世間的には「覚せい剤」のイメージが定着しているでしょう。確かに、清原和博はいけないことをしました。ただ、野球の成績までも否定することは誰にもできないでしょう。