
野球選手としても、球団の監督としても大活躍した星野仙一が2018年1月4日に死去しました。星野仙一ファンのみならず全ての野球ファンが早すぎる死に悲しみました。星野仙一はファンに向け、遺言を残していたとのことですが、、
星野仙一、死去
野球選手としても、監督としても知られる星野仙一が2018年1月4日に死去しました。死因は膵臓がんだったそうです。
享年70歳。。早すぎる死に、多くの人が驚き、戸惑いましたよね。
星野仙一さんのご逝去の報に接し、心から哀悼の意を表します。燃えたぎる闘志で日本野球界に数々の伝説を残した星野仙一さん、そして共に歩んできたご家族のもとに神様の慰めがあるよう、お祈りいたします
あなたの命令によってか。鷲が高く上がり、その巣を高い所に作るのは。ヨブ39:27 pic.twitter.com/1FlrT14RHB
— 上馬キリスト教会 (@kamiumach) January 5, 2018
星野仙一は2016年に急性膵炎が発症し、検査の結果、膵臓がんが発見されました。
膵臓がん発見後は、体調の悪い日良い日と波があったものの、通常通り仕事を行っていたとのこと。
仕事では、昨年(2017年)の12月まで野球殿堂入りのパーティに顔を出すなど、公の場で元気な姿を見せていましたが、12月末には体調を崩し、年明けの1月4日に昼寝をするような安らかな表情で息を引き取ったようです。
星野仙一自身の希望で、葬儀は家族だけの密葬で執り行われ、後日、お別れ会を行う予定とのこと。
きっと長年野球界を支えてくれた熱い男、星野仙一のファンが押し寄せるに違いありませんよね。
星野仙一の早い死に、とても残念でなりません。
星野仙一の輝かしい経歴を一部ご紹介していきたいと思います。
星野仙一、輝かしい経歴
皆さんご存じかと思いますが、星野仙一は現役時代には中日ドラゴンズのエースとして大活躍されましたよね。
星野仙一ドラゴンズ入団の際は、ドラフト1位指名を受けています。星野仙一は、現役時代もプライドの高い投手として知られていました。
星野 仙一
500登板 146勝 121敗 34セーブ
2128.2回 1225奪三振 防3.60中日(1969-1982)pic.twitter.com/inQH967kzx
— プロ野球通算成績bot (@npb_player_bot) January 6, 2018
星野仙一は「打倒巨人」として現役時代も監督になってからも巨人をライバル視してきました。星野仙一は高校時代から巨人ファンで巨人からドラフト指名されると期待していたにもかかわらず、当時巨人は別の選手を指名。
よって、星野仙一と巨人は因縁の仲になってしまいました。星野語録として、1974年に中日ドラゴンズが巨人に勝ってリーグ優勝した際に「日本シリーズは邪魔。巨人に勝ったからもういいんだ」と話したことは有名です。
このときの優勝を決めた試合で。星野仙一は胴上げ選手になるほど、貢献した選手でした。
訃報 星野仙一さん 70歳で死去
NHK pic.twitter.com/fTi3XIffKU— ゆうのす (@YS758) January 5, 2018
そして星野仙一は、現役引退後に中日ドラゴンズ、阪神タイガース、楽天イーグルスの監督を務めることになりました。
2008年には北京オリンピックの日本代表監督も務めるなど、現役時代以上に監督としても大活躍しました。
そして、星野仙一は監督として、リーグ優勝を4回、日本シリーズ制覇を1回、達成しています。
本当にすごい経歴ですよね~星野仙一は「闘将」や「熱い男」と呼ばれるほど、野球に対して真摯で常に真剣でした。
2013年、楽天イーグルスを日本シリーズ制覇に導いたときは、2011年東日本大震災の被災地となった東北に大きな夢を与えてくれました。
そんな星野仙一の死去に、多くの人が悲しみました。動画をご覧ください。
熱さとともに、優しさもしっかり伝わってくる星野仙一。本当に、多くの人の人生に影響を与えたことでしょうね。
そんな星野仙一は、野球殿堂入りの称号まで手にしています。
野球殿堂入りとは、野球の発展に大きく寄与した人の功績をたたえるものだそうです。王貞治や長嶋茂雄なども表彰されています。
星野仙一が野球殿堂入りを表彰されたのは2017年のことで、同年7月ナゴヤドームで表彰式が行われた際、星野仙一が中日ドラゴンズのファンへ向けた言葉が遺言のようだと話題になっています。
星野仙一からの遺言
星野仙一の野球殿堂入りの表彰式には、ナゴヤドームがいっぱいになったかと思えばそうではなく、入りは6分程度だったそう。
星野仙一さんのご冥福を心よりお祈りします。
ドラゴンサポーターズ役員一同 pic.twitter.com/LXv5NjKD6I— ドラゴンサポーターズ 公式 (@dra_suppo) January 6, 2018
星野仙一は現役時代から監督時代と中日ドラゴンズに大貢献してきたにもかかわらず、、一体どういうことなんでしょうか?
調べてみると、それは、過去の週刊文春の記事によると、中日ドラゴンズの監督後、阪神タイガースの監督へと移動してしまったからだと考えられていました。
また、星野仙一は阪神タイガース監督就任の際に、ずっと阪神ファンだったと発言したことも、中日ドラドンズファンのショックとなったのかもしれません。
そんな寂しげなナゴヤドームで星野仙一は、中日ドラゴンズのファンに向けて、こんな遺言を残しています。
「ここに来ると野球ファンというより中日ファンに小言を言いたいなと。こんなに(ファンで)いっぱいのナゴヤドームは最近、見たことがない。もっともっとドラゴンズを応援して下さい。甲子園も、仙台のコボスタもいつも満員ですよ。ここだけガラガラ。皆さん、ドラゴンズを応援してあげて下さい」
星野仙一っぽい言い回しですよね。しかし、この台詞に中日ドラゴンズに対しての愛も感じられます。
きっと星野仙一は、他の監督をしている間も、中日ドラゴンズのことをどこかで気にかけていたのでしょうね。自身の原点でもありますし。
そんな星野仙一の死去に世間は悲しみ、お悔やみの言葉を次々にツイートしています。
星野仙一さん!
私が初めて接客させて頂いた著名人!オーラがハンパなくてダークブラウンのロングコート、ヴィトンのバッグ?ホントにカッコいいステキな方!
最後に『頑張って!ありがと!』と微笑んで下さったこと一生忘れません。
心よりご冥福をお祈り致します。#星野仙一さん死去
— のあ✩NoAh (@noah_jj_noah) January 7, 2018
これまでの人生で一番泣きました。
いつまでも忘れないけど、いつまでも泣いていては叱られそうだから、耐えます。
倉敷の星野仙一記念館、また訪れたい。
東京ドームに行ったら、野球博物館のレリーフに挨拶したい。
その時はまた涙が溢れるかもしれません。許してください、星野さん。— どらきち (@drakichikun) January 7, 2018
星野仙一は70歳で死去
人生は短い
決して後ろは振り向かない
ただ、一つ学んだことがある。それはお世話になった人に感謝すること— サラリーマン冒険家 (@yuki_k787) January 7, 2018
まとめ
今回は、野球界で大活躍し、70歳でこの世を去った星野仙一についてまとめました。
リーグ優勝は中日で2回、阪神で1回、楽天で1回、そして日本一は同じく楽天で1回。
監督をした三球団で全て優勝を経験した。
星野仙一こそ名将と呼ばれるべき監督だった。 pic.twitter.com/l03CAwCMZ9— や ぶ ま さ ⊿ (@yabu_midnight) January 5, 2018
星野仙一の早い死はとても残念でなりません。しかし、星野仙一は自ら自分の死を悟り、生前に友人などに私の分も頑張ってと声をかけていたそうです。
星野仙一の素晴らしい経歴と熱い男としての教えは、多くの野球ファンの心で生き続けるでしょうね。
ご冥福をお祈りいたします。